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zoom RSS 父親の軍歴を調べてみた・・・墜落は本当だった

<<   作成日時 : 2017/06/26 11:14   >>

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厚労省に保管されていた資料は終戦時のものだけで、どのような経歴だったかは分からない。
厚労省からの返信の最後に「旧陸軍関係の軍歴等の身上に関する資料は終戦当時の本籍地を所管する都道府県が旧陸軍から継承している」から奈良県に紹介したらわかるとして、奈良県の担当部署が書かれていた。

早速、担当部署に電話で確認し軍歴調査の申請書を送ってもった。同時に父親の戸籍謄本や、私の住民票等、厚労所に送ったものと同じものを用意した。

ここでも申請書を受理してから2ヶ月〜3ヶ月はかかるとされた。
そして、忘れたころに奈良県から封書が届いた。

こちらの資料は「経歴書」と言う名でA4枚に昭和9年の入隊時から20年2月まで行動や所属部隊が細かく書かれている。

最初は砲兵として野砲兵第26連隊の第一中隊に入営している。当然のことながら二等兵だろう。この時の父親の年齢は21歳だ。

この隊は満州事変に対応するために昭和6年に朝鮮の龍山で編成されているから、父親は何らかの事情で朝鮮にいたのだろう。

入隊して6か月ほどで日本の豊橋陸軍指導学校に移動してここで1年勉強していたものと思われる。

シナ事変にも駆り出されているが、同時期に航空要員として志願して採用されて、飛行第戦隊に移り、ここから飛行機乗りとなったようだ。これが昭和13年の事で砲兵隊には4年いたことになる。

飛行兵になってからは水戸や熊谷の飛行学校で操縦訓練をしながら、今度は航空兵としてシナ事変に参戦している。その後航空士官学校に入ったようだ。

私が生まれたのが昭和16年だから、このころ埼玉県の入間基地周辺で士官としての教育を受けていたのだろう。

そして将校となり、中国の南部、シンガポールインドネシアに転戦していたようだ。この時は飛行第98連隊に所属していて既に重爆撃機に乗っていたようだ。
画像

インドネシア スマトラ島北部  クリックで拡大します

履歴書(軍歴書)にはインドネシアの地名、スンゲイパタニ、メダン、ロークスマウェと言う名前が盛んに出てくる。生前父親からスンゲイパタニやメダンは聞いたこともあるし、97式重爆撃機でカルカッタを攻撃したと言う話も聞いている。またこの時期に海上に墜落して受傷したとも聞いていた。

この事が履歴書(軍歴書)の中にはっきりと書かれていてロークスマウェの東方海上2キロに墜落、顔から腰、臀部、足に重傷を負いメダンの病院で治療したとハッキリと記されている。

その後、一旦、大刀洗飛行学校に戻り、ここから助教として教官の仲間入りをしたようだ。
そして、昭和19年の1月に朝鮮(韓国)の大邱の第9練習飛行隊に移り、ここで終戦を迎えたことになる。

ここで私の記憶違いが一つ訂正された。私は朝鮮の大田(韓国)で終戦を迎えたと思っていたが、それより南の
大邱だったことが分かったのだ。同時に母親と私、妹はこの大邱に移動したときに同行したと思われることも
分かった。

厚労省に依頼してから奈良県の調査報告書が来るまでやく8か月かかったが、この軍歴調査で、父親の軍人としての経歴がはっきりしたし、我々が何時どうして韓国に渡ったのかもはっきりした。

また、父親が転科して飛行機乗りにならないでそのまま砲兵隊にいたら恐らくは戦死していただろうことも分かった。何故なら野砲兵第26連隊はやはり南方に転戦し終戦時の生き残りは100人だったと言うからだ。

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