ディエンビエンフーと言えばA1の丘

ディエンビエンフーの3日目、最後の日だ、今日の午後の便で帰国する。

朝、8時に最初の日のドライバーとガイドさんが来た。今日は午前中で戦跡巡りは終わりなので市内に残っている戦跡を訪れた。先ずはA1の丘だ。この丘はディエンビエンフーを検索すれば必ずヒットするところだ。しかし、通り一遍の説明で真実が伝わっていないような気がする。

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トンネルを堀り、爆破され作られた巨大なクレーター
直径は30メートルある  周辺には塹壕が有るのが分かるだろう
これ以降の写真はクリックで拡大します


ここで有名なのは丘のてっぺんに残されて広大なクレーターのような跡だ。ある人の説明では砲撃で出来た跡だと言うし爆弾の跡だと書いている人もいる。ここだけを注目するとその様に見えるかも知れない。
しかし、この丘の周辺には幾重にもしかも迷路のように張り巡らされた塹壕(トレンチ)を見ると、この丘がフランス軍にとってかなりの重要施設だったと推定できる。しかも周囲には四重の有刺鉄線の壁が有った。塹壕からわずか50メートルの距離だ。恐らくベトミン軍は幾度となく突撃を繰り返して押し返されていたのだと思う。
始めに戦争博物館で当時の記録フィルムを見たが、日本軍が203高地を攻撃した方法とよく似た突撃方法だった。これでは上の方から狙い撃ちにされたのだと思う。


そこでベトミン軍はこの丘の麓から塹壕の下にトンネルを掘り始め丘の頂上の直下に約1トンの爆薬を仕掛けて爆発させてこの巨大な穴を作り一気に丘の上から(つまり塹壕の反対側から)突撃し、フランス軍との白兵戦でこの丘を占拠したのだと言う事だ。この戦いで両軍で1800人が戦死したと言う事だった。この丘を占領したベトミン軍にとってフランス軍のド・カストーリ司令官のいる司令部は目と鼻の先だ。こうしてフランス軍はなすすべもなく降伏せざるを得なかった訳だ。

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ディエンビエンフ―中心部の航空写真  グーグル


こうしてみるとベトナム国民の考えもつかない奇策で、優秀な兵器を持っていた(アメリカ軍の支援を受けていた)フランス軍の普通の考え方の戦術は全く役に立たなかったものと思われる。

A1の丘の隣にはこの争奪戦で戦死したベトミン軍の戦士の墓地がある。
ディエンビエンフーには4か所にこの様な墓地があると言う事だ。この墓地には約800人のベトミンの兵士が眠っていと言う事だが殆どは無名戦士なのだそうだ。そのため墓石には名前がなし番号もない。しかし、とこどころの墓石には名前があとから掘られていた。
その理由は国を独立するために集まった義勇兵が多かったのだと言う。所々に名前がある墓石は、この戦いの英雄のものだと言う。
私もここでベトナム流の線香を買い手を合わせてベトナムと日本の両国の平和をお祈りして来た。線香は出来るだけ多くの戦士の墓石にと思い一本一本上げて手を合わせて来た。

その次に訪れたのがフランス軍兵士の墓だ。こちらも近くにあったが随分こじんまりとしていた。1人一人の墓石ではなく記念碑の様なものが立っているだけだが、綺麗に清掃されて花が飾られ線香が上がっていた。ここでも、私は手を合わせて、しばしお祈りをしてきた。

ガイドになぜこんなにこじんまりしているのか聞いたら。殆んどの戦死者は名前が分かり母国に返還されたのだと言う。兵士には認識番号が書かれたメダルが有ったからだとのことだ。ベトミンとの大きな違いだ。

さてこの後だが、ガイドと休憩しながら色々と話をした。話をした。先ずガイドから感謝の言葉があった。これは3日間ガイドに使ってくれてありがとうという物ではない。
ガイドいわく「3日間ディエンビエンフーの戦史と歴史を丹念に回り勉強してくれてありがとう。特に日本と言う遠い国から来てくれたことに感謝する」と言うものであった。

ベトナム人以外、ディエンビエンフーがベトナムを独立させる原点であると言う事を殆どの人が知らない。そんな中で一過性ではなく3日間も集中して戦跡を回った日本人がいたと言う事に対する感謝の言葉だったのだろう

感謝の気持ちでもう1ヵ所ほとんど知らない場所を案内してくれると言う事でHim Lam Hillと言う戦跡に連れて行ってくれた。ここは、三つの小高い丘から構成されていて何れの丘の頂上にもトーチカが残されていた、現在は草に隠れて殆ど見えない本物のトーチカだ。銃眼があちこちに向いているし、その周りには塹壕が迷路のように張り巡らされている。更にその下には有刺鉄線がここでも四重に張り巡らされていて、その一部に故意に人が通れる隙間が空いていた。銃眼の真下だ。つまり、ここを通ろうとした兵士は間違いなく銃眼から狙い撃ちされたであろう。

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トーチカの銃眼  右下には有刺鉄線が見える<.center>

ここでも武勇伝が有った。有刺鉄線を何とか通過した兵士の一人がこの銃眼に覆いかぶさり、自分の身を犠牲にして多くの兵士をこのトーチカに辿り着かせてトーチカを占領したと言うのだ。日本で行ったらそれこそ英雄としてたたえられる戦士の行動だ。

三つの丘のうち矢張り一つずつ落としていったと言うから、まさに作戦勝ちだったと思う。

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三日間お世話になったドライバーとガイドさん


こうして私の三日間にわたる戦跡巡りは終わり、ホテルに送り届けてもらった。

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この記事へのコメント

お留守番
2018年09月18日 00:37
お疲れ様

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