手をつないで避難するウクライナの親子・・・私の過去に重なる
ロシアの侵攻により、ウクライナ各地からロシア、ベラルーシを除く周辺各地へウクライナ人の避難が行われている。
この光景の中には、母親に手を引かれた3歳~5歳ぐらいの子供達が必至で歩いている姿が多くある。
中には親からはぐれて、泣きながら一人で歩いている小さな子供の姿も映し出されている。
全く他人ごとではない。
私が4歳だった時の過去にt重なる映像だからだ。
私が4歳の時に太平洋戦争が終わった。その時、私は、家族と現在の韓国の大邱(テグ)に住んでいた。
そして、日本の敗戦が分かると韓国人(当時は朝鮮人)達の行動が一変し、家に押し寄せるようになった。
幸いなことに、私の家で使っていた何人かの朝鮮人たちが、それを阻止してくれ、牛車を用意してくれ、着の身着のままに私と母親、妹を駅まで運んでくれたという事だ。ここまでは、後から聞いた話で私の記憶にはない。
父親は軍人だった為に、拘束されて、一緒に帰国することは無かった。
僅か4歳の子供であるから、大邱から母親の両親が住んでいた千葉県の四街道迄の約1300キロの避難行の全部は覚えていないが、強烈な印象や怖さだった事は幾つかの事は覚えている。
最初に思い出すのは大邱から恐らくプサンまだの間の貨物列車での移動だ。現在は、あまり見かけないが、一番小さい有蓋貨物列車での移動だった。扉は外されて、その中に何家族も押し込められていた。
次は、どこかの港、恐らくプサンだと思うが、小さな貨物船に乗る時だ。岸壁から貨物船の間に幅が狭い板が渡されていて、その板の上を泣きながら這って張って渡った時だ。水面が見え、本当に怖かったことをよく覚えている。
落ちたら、誰も助けてくれなかっただろう。
現在のウクライナからの映像の中に障害物に阻まれた子供が、それを乗り越えている姿、落ちた橋の下に作られた、細い板の仮橋を滑りながら列を作って渡る老人たちの姿が、恐らくその時の私に近いのではないかと思う。
もう一つ、船の中での思い出があるがそれを飛ばして、日本のどこかの港、恐らく尾道だと思う(後で聞いた話)が、
母親は妹を抱いていたために手が使えず、自分の体に巻き付けた紐の先に私の手首を縛り付けて、迷子にならないようにしながら、混乱した人ごみの中を歩いたことだ。
私が体験した事と同じような事が、現在ウクライナで起きている。小さい子供達は、現実がどうなっているのかは理解できないと思うが、怖かったことは、間違いなく体で覚えていて、成人してから、現在の私のように思い出すと思う。
この進化した世の中で、76年前のような事が現実に起きているという事が恐ろしい。
早く、この恐ろしい体験から解放してあげなければならない。
ウェブリブログが終了するという事なのでブログを続けていくために何かをしなければならない。
私はもう一つココログを書いていた。暫くご無沙汰していたが、こちらに一本化しようと思う。
暫くの間、同じ記事を載せたいと思うので、是非、アクセスして以前に書いていたものを見て頂きたいと思う。
こちらは今までに経験したことを色々と書いているので、最初の方を読んでもらうと面白いと思う。
「Heroの様々な体験」
http://momotaro4.cocolog-nifty.com/blog/
この光景の中には、母親に手を引かれた3歳~5歳ぐらいの子供達が必至で歩いている姿が多くある。
中には親からはぐれて、泣きながら一人で歩いている小さな子供の姿も映し出されている。
全く他人ごとではない。
私が4歳だった時の過去にt重なる映像だからだ。
私が4歳の時に太平洋戦争が終わった。その時、私は、家族と現在の韓国の大邱(テグ)に住んでいた。
そして、日本の敗戦が分かると韓国人(当時は朝鮮人)達の行動が一変し、家に押し寄せるようになった。
幸いなことに、私の家で使っていた何人かの朝鮮人たちが、それを阻止してくれ、牛車を用意してくれ、着の身着のままに私と母親、妹を駅まで運んでくれたという事だ。ここまでは、後から聞いた話で私の記憶にはない。
父親は軍人だった為に、拘束されて、一緒に帰国することは無かった。
僅か4歳の子供であるから、大邱から母親の両親が住んでいた千葉県の四街道迄の約1300キロの避難行の全部は覚えていないが、強烈な印象や怖さだった事は幾つかの事は覚えている。
最初に思い出すのは大邱から恐らくプサンまだの間の貨物列車での移動だ。現在は、あまり見かけないが、一番小さい有蓋貨物列車での移動だった。扉は外されて、その中に何家族も押し込められていた。
次は、どこかの港、恐らくプサンだと思うが、小さな貨物船に乗る時だ。岸壁から貨物船の間に幅が狭い板が渡されていて、その板の上を泣きながら這って張って渡った時だ。水面が見え、本当に怖かったことをよく覚えている。
落ちたら、誰も助けてくれなかっただろう。
現在のウクライナからの映像の中に障害物に阻まれた子供が、それを乗り越えている姿、落ちた橋の下に作られた、細い板の仮橋を滑りながら列を作って渡る老人たちの姿が、恐らくその時の私に近いのではないかと思う。
もう一つ、船の中での思い出があるがそれを飛ばして、日本のどこかの港、恐らく尾道だと思う(後で聞いた話)が、
母親は妹を抱いていたために手が使えず、自分の体に巻き付けた紐の先に私の手首を縛り付けて、迷子にならないようにしながら、混乱した人ごみの中を歩いたことだ。
私が体験した事と同じような事が、現在ウクライナで起きている。小さい子供達は、現実がどうなっているのかは理解できないと思うが、怖かったことは、間違いなく体で覚えていて、成人してから、現在の私のように思い出すと思う。
この進化した世の中で、76年前のような事が現実に起きているという事が恐ろしい。
早く、この恐ろしい体験から解放してあげなければならない。
ウェブリブログが終了するという事なのでブログを続けていくために何かをしなければならない。
私はもう一つココログを書いていた。暫くご無沙汰していたが、こちらに一本化しようと思う。
暫くの間、同じ記事を載せたいと思うので、是非、アクセスして以前に書いていたものを見て頂きたいと思う。
こちらは今までに経験したことを色々と書いているので、最初の方を読んでもらうと面白いと思う。
「Heroの様々な体験」
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